始まり

「K野さん、それまじ出来んの!?」
めったな事ではおどろかない僕は、K野さんの発言でビックリしたのは今から約1年前の2004年10月のことだった。
長野の大きな会場を借りて、ラーメン屋さんを集めてイベントをやる。それはなにも決定事項もない、うちにうちの話のようだが、K野さんの落ち着いた口調に相反したギラギラしたいやらしい目の輝きは今でも夢に見る。
その後、会うたび会うたび話が消えるどころか前進したことばかりで、実現する現実をまざまざと感じていました。

ラーメン博が正式に決定し、一般的に公表されてからも問題が山積みだったと思うが、難題を次から次へとクリアしていくK野さんには正直すごい人だと思った。
日々輝きといやらしさをそなえた「目」はいわばAtteri。
あってり目K野。そして三四郎ちゃんとのコラボ企画、グルフラーメンの話を頂き参加させて頂き、信州ラーメン伝においても個性は社長を一気にたばねた行動力は、今回の裏MVPと断言できます。

大会一ヶ月前、ロコとしては8月の夏営業の最中、同時進行でラーメン博出店用のラーメンを考案中1つのヒントが耳に入った。それは・・・


あってりマニア(ロコのあってり通のファンの方、年間で50回以上来店される方、または往復100km遠方からお越しの方等)のメールで始まったのでした。

「今度ロコさんが作るあってり麺とカレーのコラボが食べたいです、だってカレーもおいしいから」

難しいこと言うね♪そりゃぁカレーも売りたいけど、さすがに昔のメニューで大舞台にでるのも気が引けるし、一発勝負ならあってり麺で表現したいし、なんて考えていたんだけど、決定できた1つの理由は、

「ひとりでもそれが食べたいという事なら!!」

挑戦しちゃおうじゃないの!?あってり麺とカレーのコラボを!!なんていう「のり」だけでした。
頭のなかで何回も作っているうちに見えてきたのよ、その味が!そんでめずらしい事にネーミングが試食の当日まで考えてなかったの、Komachiのライターさんとカメラマンさんがロコに来た当日(9月初旬)

Komachi「あの〜、メニューの名前は??」

僕「やべぇ!まだ決まってなかった!!・・・うんとね、あと5分時間ちょうだい♪」

そんな調子ですぐ白紙の紙を一枚用意したの、
僕がネーミングを考える時の行動、白紙の紙をじ〜〜〜っと見るの、そんで浮かんだら事を書き出すの。
「カレーが15年だろ〜、あってり3年でぇ〜、、15・・・3・・・・いごみ・・・・オーイチゴウサン、これはあぶねぇーな。ワンコンサン、なんか隣の晩御飯みたいだし、」

・・・そんなのりで、「たしちゃ!えぃ!」15+3は18。じゅわっち!ウルトラマンみたいに3分戦えるとか?なんか麺がのびそうだなぁ〜、んじゃ、おはこ!これも自信満々みたいだし、巨人だと桑田が18番かぁ〜!引退しそうだしなぁ〜、エース番号!チームの柱か?
再修業だし、そーかー!

「ピキン!!!」

18の1と8でいちかばちか!そして・・・

「ライターさん!今出来ました!このメニューのネーミングはカレーの15とあってりの3で・・・」

「何ですかそれ。」